通信システム特論(前半) レポート

デファクトスタンダードと国際標準の利害得失

2002年12月25日

はじめに

このレポートでは、 WWW 関係の規格――具体的には W3C が策定している規格――の中から画像フォーマットの PNG を例に挙げ、対するデファクトスタンダードである GIF との間で生じている利害得失を考察してみたい。

GIF vs. PNG

デファクトスタンダードとなった GIF

インターネット上で流通する静止画像フォーマットして今も広く使われているのは GIF と JPEG である。 GIF は1987年に CompuServe 社がパソコン通信上で画像をやりとりするために策定した規格である。 GIF で使われている圧縮アルゴリズム LZW 法は Unisys 社が特許を取得している方法である(アメリカでは1983年6月19日、日本では1984年6月20日に出願[1][2])。 Unisys 社は当初、特許の使用について寛大だったが、 GIF が広く普及しデファクトスタンダードとなった頃を見計らって、 LZW 法の使用にロイヤリティを要求しはじめた(1994年)。悪評高いサブマリン特許問題である。このレポートではサブマリン特許の善し悪しまでは論じないが、ともかく、この特許問題を回避する代替フォーマットとして PNG の策定が進められた。

公式標準となった PNG

PNG は後発であることから様々な画像フォーマットのいいとこ取りをしたようで、 GIF に比べ技術的に優れた規格であることは疑いない。 PNG は1996年10月1日に W3C 勧告として正式に規格化された。当時まだシェアの一角を占めていた Internet Explorer 3.x と Netscape Navigator 3.x がともに PNG をサポートしていなかったため、ウェブサイトの画像をただちに PNG に置き換えるユーザー(サイト制作者)ほぼ皆無だった。しかしブラウザの世代交代が進めばこの問題はいずれ解決する。 PNG の表示は IE4.0 以降、 NN4.04 以降で(一応)サポートされた。こうなると PNG の普及は時間の問題であり、 GIF は遠からず駆逐されると予言する人もいた。

駆逐されなかった GIF

それから5年あまり経った現在、はたして PNG は普及せず、 GIF は駆逐されなかった。もはや PNG 非対応のブラウザはほとんど使われていない[4]にもかかわらず、である。なぜだろうか。

PNG の普及が進まなかった原因として技術的理由を挙げる人がいる。いわく、 GIF の特長のひとつであるアニメーション表示が PNG ではサポートされていないからだと。これは「静止画と動画は異なるメディアタイプである」という理念に基づく仕様であって、アニメーション用には MNG が規格化されているから、決して技術的に劣っているわけではない。そもそも既存の GIF 画像に占めるアニメーション GIF の割合がそんなに高いわけもなく、大多数が(少なくとも過半数は)アニメーションしない GIF であることは明らかだから、これら静止画 GIF までもが PNG に置き換わらず残ったことは技術的理由では説明できない。

Netscape は有罪である

PNG が普及しなかった直接の原因は、ブラウザの対応がまちまちだったこと、それにより企業サイトが採用を見合わせたことだと私は考える。 IE4.x では(OS により状況は異なるが)透過色の表示に不具合があった。 NN4.x ではついに透過色の表示はサポートされなかった[3]。現在 NN4.x のシェアは 1% 程度まで落ち込んでいるが[4]、それでも10万人中1000人には意図したデザインが伝わらないわけで、やはり商業ベースで PNG は使えないという判断が働いたのだろう。 Macromedia Flash が(プラグインを必要としながらも)企業サイトを中心に普及しているのとは好対照である。

ブラウザメーカーも民間企業である以上、商業的インセンティブのない PNG サポートに腰が重かったのは理解できるが、多くのユーザーを抱えていることによって生じる社会的責任をもっと自覚すべきであった。

de Facto vs. Dejua

VHS とベータの例を引き合いに出すまでもなく、デファクトスタンダードとなった規格は必ずしも技術的に優れていない。むしろデファクトになれなかった規格の方が技術的には優れている場合が多いように思われる。それはなぜか。

合理的な意思決定のもとに

われわれはテクノロジーの世界にどっぷり浸かっているから気づきにくいが、コンピュータユーザー(≒最終的にフォーマットを選び、使う人)の中で圧倒的多数を占めるのは、技術的背景を知らない一般の人たちだ。彼らが最初にフォーマットを選ぶとき、「みんなが使っているもの」を選ぶのは当然で、合理的な選択である。規格とはそもそも他者との互換性を保証するために存在するもので、だからこそ規格の価値はユーザーの数に支配されるわけだ。また規格の普及に大きな影響力を持っているのは企業ユーザーであり、企業は顧客である圧倒的多数の一般ユーザーの動向を重視する。これもまた市場原理の中にあっては当然で、合理的な意思決定である。

技術の価値の外部性

企業が力を入れればユーザーは増える。ユーザーが増えれば企業は力を入れる。こうして最初に少しでもユーザー数の多かった規格はますますメジャーになり、ユーザーの少なかった規格はますますマイナーになる。これを「商業的ポジティブフィードバック」とでも呼ぼう。経済学では何か適切な用語があるのかもしれないが、とりあえず思い付きで命名してみた。インターネットが研究者の手を離れて商業利用にシフトしてしまった今、規格の勝敗は市場原理によってのみ決まり、いかに優れた技術であっても市場価値がなければ誰にも使われない。使われない技術に価値はない。そんな風に考える人も多いのではないだろうか。

塵も積もれば山となる

たしかに大多数の一般ユーザーにとって、デファクトスタンダードとなった従来規格が技術的に少々劣っていたところで何の不便も感じない、という場合も多いだろう。 GIF の圧縮率が PNG より悪いと言っても、その差はせいぜい数キロバイトである。それより新規格へ切り替える手間とコストの方がはるかに大きい。だからデファクトスタンダードを使い続ける。それはユーザーの側からすれば合理的な判断だ。しかし、従来技術を使い続けることによる損失は――狭義には通信帯域の浪費から、広義には知的生産性の低下まで、さまざまな「損失」を考え合わせると――個々人にとっては微々たるものであっても、ネットワーク全体では膨大なリソースが浪費されているに違いない。そして、それを有効に使えば実現できたはずの新たなアプリケーションが芽を摘み取られていないとも限らない。

公式標準こそ先手必勝

商業的ポジティブフィードバックが真実なら、ネットワーク上の規格は先手必勝。一日でも早く出て、一人でも多くのユーザーをつかんだ方が有利である。すでにデファクトスタンダードが確立している分野で、あとから登場した公式標準が技術的優位を武器に追いかけても成功した試しがない。だからこそ、ある技術分野が世間に広まる前に――少なくとも商業的に使われるようになる前に――先行して公式標準を策定することはとても有益である。公式標準の策定は技術者同士のディスカッションとコンペティションによって進められる。この段階では価値の外部性が働かないから、市場判断に偏重することなく純粋に優れた技術が採用されうる。そしてそれが商業的にも使われるようになれば、技術的背景を知らない多くのユーザーも優れた技術の恩恵を受けることができる。

今後のデファクトスタンダードが利己的な私企業のものにならぬよう、 W3C や ISO/ITC をはじめとする標準化団体が強い指導力を発揮でき、なおかつ健全な競争が促されるような国際体制づくりを望むものである。

おわりに

WWW はネットワークの外部性がもろに利いてくる分野だけに、 W3C の抱える規格はデファクトとの戦いが絶えず(しかも大抵は不利で)、端から見ている分には面白い。このレポートでは PNG の例を挙げるだけで紙数を超えてしまったが、ほかにも次のような興味深い戦いがある。

レガシー HTML vs. XHTML + CSS

ブラウザメーカーの意見を安易に採り入れすぎたため、爆発的な普及と引き替えに後顧の憂いをもたらした HTML3.2 。そしてまたもや Netscape 4.x のバグ嵐により普及が遅れたスタイルシート。「見映えと構造の分離」という理念を一般ユーザーがどこまで理解し、受け入れるか。

Flash vs. SVG

非公開なバイナリフォーマットと XML ベースの公開フォーマットとの戦い。サイズ面で不利なテキストフォーマットがその長所をどれだけ生かしてバイナリフォーマットに迫れるか。あるいは SVG を推す Adobe が市場力にものを言わせて Macromedia を討つか。

(番外) LaTeX vs. XHTML + MathML + CSS2

LaTeX の砦に押し寄せる XML の波。すでに MatheMatica などは MathML 形式での入出力が可能。 HTML が苦手とする印刷機能についても CSS Level2 はかなりの潜在能力を持ち、あとはブラウザの実装を待つばかり。10年後のデファクトスタンダードはどちらか。

いかんせん興味本位が過ぎたようである。このへんで筆を置くことにしたい。

参考文献

[1] http://cloanto.com/users/mcb/19950127giflzw.html

[2] http://www.katch.ne.jp/~k_okada/mono/0002201.htm

[3] http://www.remus.dti.ne.jp/~a-satomi/bunsyorou/PNG_descript.html

[4] http://www.onestat.com/html/aboutus_pressbox15.html